2019年6月19日 00:00
「伊能忠敬」
彼は55歳から73歳で死ぬ直前まで、日本全国を徒歩で歩き、日本で始めて測量機器を用いた精巧なる「大日本沿海與地全図」(日本の全てを網羅)の完成に尽力しました。
その間の歩いた歩数は4千万歩と推測され、全ての経費は忠敬の個人の資産でした。
「大日本沿海與地全図」の最後の仕上げは弟子によって行われ、忠敬の死後3年目に幕府に提出されました。
ここまでは皆さんもよくご存知の話です、でも本当の忠敬の偉大さはここから始まるのです。
さて、個人の資産を全て継ぎこみ、日本全国を約20年間歩いて地図を完成させた忠敬ですが、普通こんなことができるでしょうか?
何が彼を駆り立てたのでしょうか?
私の疑問はたったこの一つでした。
実は、彼にはどうしても自分で確認したい「宇宙規模の壮大なスケールの夢」が有ったのです。
それは、「地球の大きさを知りたい」というものでした。
蘭学、特に数学に没頭した忠敬は、突然自分の手で地球の大きさを知りたいという衝動に駆られました。
そして、自分よりも年下の蘭学者に弟子入りし猛勉強、55歳の時に地元深川と浅草の間で測定を開始しました。
しかしあまりに距離が短かったので誤差となり、全く意味が無いことに気づくのです。
「地球を測るには、日本の端から端ほどの距離が必要だ!」
そこで、幕府に「日本の精巧な地図を作りたい」と申し入れ、どの藩へも出入り自由とするお上のお墨付きを貰ったのです。
その後、日本全国の海岸を弟子数人と歩いて測量し、ついに目標を達成することができたのです。
彼の計算による地球の外周と現在GPSとスーパーコンピュータで計算した外周の差は、たったの70kmと言うことが判っています、これは地球規模で考えると誤差の範囲なのです。
外周を計測するには、2地点の北極星と水平面との角度を計測します、その角度により半径と直径が求められるのです(3角関数)。
したがって、最初に行った計測では2地点が短距離過ぎて角度に差が出ず、計測が出来なかったということなのです。
どうでしょう?
この歴史教科書には出ていない裏の歴史、そして彼の功績を上回る人生を掛けた「壮大な夢」。
私はこの裏事情を知ったとき、背筋が寒くなるほどの感動を覚えたのです。